青リボン6858のブログ

鉄道、バス その他

2022.08 萩・徳山 (2日目)

盆休みの山口旅行の2日目です。この日は徳山及び周辺で防長バスの撮影・乗車をし、夜に新幹線で帰りました。

1日目↓

bontan6858.hatenablog.com

2日目 8/16(火)

前日夜から徳山に泊まっています。
7時過ぎに起床。ホテルの朝食バイキングへ。私は朝食バイキングが結構好きで、ここを選んだ理由の一つです。

ホテルを出て駅のコインロッカーに荷物を預け、午前中は徳山で防長バスの撮影・乗車。

天気は曇り。この日は一日中雨が降ったり止んだり。雨はともかくとして曇りは徳山駅でのバス撮影にはむしろ好都合です(晴れていると逆光になる)。

バス撮影
以下撮影したバスです。

近鉄バス中古>




ブルーリボンシティ。ビルトインクーラーで扉上に凹凸ありのタイプと、屋根上クーラー搭載で扉上凹凸なしの2種類がいます。ビルトインタイプの方は元鳥飼の車両かもしれません。

最近移籍して来た、表記類がそのままの近鉄バスのKL-HR。車体に大きく書かれた "ノンステップバス" のロゴが特徴の2003年式車です(同型車はこれまでも防長へ移籍しているものの、ロゴや側面のKN模様は消されていた)。

私は近鉄バス時代にこの車両の左側面の写真が一切撮れておらず(非常口が中央にあるスタイルが特徴のため右側ばかりを撮っていた)、この車両を撮るのが今回の徳山訪問の主な目的であり、今回撮影できました。しかしちょい微妙な写真なので再訪問して撮り直ししようかな…


リエッセ。2ドアのリフト付きです。



中型車。KK-エルガミオにレインボーRJ。RJの方はあまり良い写真ではないですが…

<RJ(一部)の元車番について>
レインボーRJの内、1115は元近鉄バス鳥飼の1207ではないかと思います。

まず、防長バスの1115は2002年式です(バスマガジン2021年7月号の掲載内容、および座席モケット(ネット上の鮮明な写真を確認)、側面行先表示の位置から)。

一方、近鉄バスの2002年式RJは鳥飼の1207,1208, (所属不明)1209の計3台がいたようです。

'02年式RJが現役だった頃の資料(バス雑誌等の車両一覧)がないので、近鉄バス百科の車両台帳のリンク(インターネットアーカイブ)を貼っておきます。個人サイトのため信憑性は微妙かもしれませんが参考として…
https://web.archive.org/web/20081230172835/http://kinbus.s41.xrea.com/daicho/daicho_top.html



2017年の鳥飼営業所  バスファン主催の貸切会にて撮影(もちろん立ち入り・撮影許可済)

2017年7月、鳥飼営業所にいた1207,1208,1209。この内1207(2枚目奥)のサイドミラーに貼られている黄色い反射テープの位置が、防長バスの1115と一致しています(他の2台にはありません。元から無いor剥がされた?)
この反射テープを剥がすことはあっても、新たに貼り直す可能性は低いと考えられます(ゼロではないですが)。

このことから、(反射テープを貼り直したり、サイドミラーを他車と交換したりといったイレギュラーなことをしていない限りは) 近鉄バス1207→防長バス1115ではないかと思います。

<防長プロパーなど>



レインボーⅡと現行レインボー(後者はエルガミオかもしれない)。



復刻塗装車。2015年に防長交通80周年記念で導入されたもの (と、近鉄バスの中型車)。

青系は一般系統、赤系は急行系統で使われていたカラー。


リアの様子。※参考に掲載。2018年撮影。奥の旧塗装が懐かしい…

<その他色々>


防長バス色々。
手前のリエッセは元明光バス。例によって移籍前の塗装そのままです。このオーシャン風の色は明光バスの旧塗装で、本家の明光からは消滅した一方、移籍先の防長では現役というよく分からない状態です。

防長カラーに明光、近鉄。色とりどり。


微妙な写真ですが…  一番右にエアロミディノンステップが写っています。この記事の編集中に気づきましたが、徳山からプロパー車でレインボーⅡ・現行レインボー以外の車両が大分減ったなぁ…と(エアロミディについては一部が廃車になっているようです)。


近鉄バスばかり、ここは大阪か…?

 

バス乗車

順番は前後しますが、午前中に元近鉄バスのレインボーRJに乗車しました。

関連リンク:  防長バス 路線図(周南西地区) PDF→ https://copilog.jp/bds_450441/views/detail/8

周南エリアの路線図は何枚かに分かれていて、他に数枚あります。一覧(全営業所) HP→ 
https://www.bochobus.co.jp/publics/index/65/

※うまく表示されない場合はページ下部のPDF出力をクリックして下さい。


湯野温泉行き。徳山駅9:05発。

下に載せる内装のデザインから2000年式です。元鳥飼の1003,1004,1005のいずれか、もしくは元京都の1006だと思われます。

新南陽駅、戸田駅前、道の駅ソレーネ周南などを経由し、約40分で終点湯野温泉着。


湯野温泉バス停(ここからさらに先へ行く系統もある)。




車両外観、車内の様子(車内は許可を得て撮影)。  座席は青系の旧デザインで、滑り止めのある灰色の床と合わせて懐かしいです。

2000年式RJは近鉄バス時代には行先表示が幕式でしたが、移籍時にLEDへ交換されているようです(行先表示器の車内側に確認窓の跡がある)。


座席背面のステッカー。近鉄バスの表記がそのままです(1ヶ所だけでなく、見た限りこの車両の車内すべて)。
再び乗車し徳山駅へ。10:10湯野温泉発、同経路で徳山へ。この路線は市街地を走るからか、昨日乗った萩~吉部の路線と違い乗客がそれなりにいました。

徳山には11時過ぎ頃着。その後は駅前で再びバス撮影。

防府

昼食に徳山駅コンコースの定食屋でそばを食べた後、防府へ向かいました。
JR山陽本線で西へ。そういえば山陽本線の徳山エリアはICOCAが使えるようになったなぁ、ICOCAで乗車しようか…と思いながら改札へ行くと…


ICカード防府新山口方面、岩徳線への乗車はできません。

使えるのは徳山までだったか…(記憶が曖昧だった)。券売機で切符を買い電車に乗ります。

下関行きの普通列車。黄色い115系の2ドア(3000番台)。2ドアというのが山口独特です。
12:57徳山発。


瀬戸内海の海沿いを走りますが、天気が悪く雨も降りだし、良い景色は見えず。※晴れているときの車窓→去年秋の山口旅行

13:22防府着。

防府天満宮

まずは防府天満宮へ行きます。駅からは徒歩圏内(約1.2km)ですが、暑いのと雨が降っていたためバス利用。

北口バス乗り場から防長バス阿弥陀寺行きに乗車。13:30防府駅前発。
最寄りの防府天満宮バス停にて下車し、そこから徒歩約200mで防府天満宮へ。



防府天満宮を参拝。雨は止んでおり、境内ではツクツクボウシの鳴き声が。家族連れで来ている人がちょくちょくいました。

14:10過ぎ頃、再びバスに乗り防府駅へ戻りました。

防府駅で下車。ちなみに往復とも同じナンバーのバスでした(多分終点まで行った折り返し)

防府駅ロータリーには防長バス中国ジェイアールバスの他、防長の元近鉄バスエルガミオ7m車も停まっていました。




※3枚目は近鉄バス時代(2016年2月撮影)

近鉄バスの9006です(このタイプは近鉄で1台だけだった)近鉄時代は摂津市内循環でよく乗りました(防長移籍後も2019年に徳山で一度乗車)。

この車両に乗りたかったものの、ずっとロータリーに待機中で動く気配もなかったため(時刻表なども確認した上で)、時間的な都合から撮影のみに。


しばらく写真を撮っているとリエッセも来ました。撮影時は元近鉄バスかと思いましたが、実際には分かりません。

防石鉄道

ここからは防石鉄道廃線跡と保存車両を見に行きました。

防石鉄道はかつて防府から堀(徳地町・現山口市)を結んでいた鉄道路線です。元々は防府と石見を結ぶ陰陽連絡路線を目指して1919年に三田尻(現防府駅)~上和字間が開業しましたが(翌年堀まで延伸)、国鉄山口線の全通により陰陽連絡の夢は絶たれました。

以後は防府と堀を結ぶ地域交通として活躍しましたが、1964年に廃止となりました。バス事業は存続したものの、1992年に防長交通に吸収合併されています。
(※防石鉄道の歴史は後で紹介する書籍等の他、現地の保存車両そばの石碑より)

なお現在、防長バスにて防石鉄道バス復刻塗装の車両が走っています(※未撮影)。

防府駅から歩いて廃線跡を少しだけ見に行きました(一部は遊歩道として整備されています)。

防石鉄道廃線跡について詳しく載っているサイト→ http://pyoco3.c.ooco.jp/chugoku/bouseki/bouseki.html

防府駅を出発。駅前は山陽本線高架化時の整備?で特に痕跡は見当たりませんが、数百m西へ行くと廃線跡であろう道路がありました。


※画像は駐車場西側のT字路から西に向かって撮影
www.google.co.jp

この道路を進むと遊歩道が始まります。




遊歩道の案内看板。下部に防石鉄道廃線跡を利用したものであることが記されています。

遊歩道をしばらく進んで行くとT字路。天候などの事情から、今回の散策はここで終了にしました。防府駅からは約600mです。

ここからは左右を道路に挟まれ中央分離帯のような形で遊歩道が続きます。地図を見ると、ここからしばらく進み右へカーブして、北西から北東へと向きを変えるあたりで遊歩道は終了。以降廃線跡は道路に転用されているようです。


※T字路を北西に向かって撮影

www.google.co.jp

かつてここを鉄道が走っていたんだぁ…と汽車の走る風景をイメージしながら散策しました。

こうして防石鉄道廃線跡を(少しだけ)見ましたが、暑い上に雨が降っており、風で暴れる折り畳み傘を必死に支えながらカメラを持って撮影する廃線跡散策となりました(不審者)。もう少しマシな時に行きたいですね。

そして保存車両… てっきり廃線跡にあるものだと思っていましたが見つからず。スマホで色々調べたところ、どうやら山陽本線の高架沿いにあるらしく、見に行きました。


防府駅から西へ約300mの山陽本線北側の場所に "防石鉄道記念広場" があり、蒸気機関車と客車2両が保存されています。保存場所には屋根があり、状態は良さそうです(ネット上では屋根のない状態での写真もありますが、おそらく後から設置されたのだと思います)

保存場所の線路は高架化前の山陽本線の線路を一部残したものだそうです(説明より)。

機関車(2号機関車)は小型のタンク式機関車。1894(明治27)年にドイツのクラウス社で製造。最初は川越鉄道(現 西武鉄道)で使用され、1918(大正7)年に防石鉄道へ譲渡されたとのこと。※説明書きより。



客車。ハ6(1枚目)とハニフ1(2枚目)の2両。
二軸でオープンデッキから出入りする古いタイプ。ハニフは荷物室を備えた合造車のようです。ただこれらの客車については製造年等の詳しい説明がなく、このときは分からず。

→旅行後、中国地方の私鉄(防石鉄道含む)について載っている書籍を購入しました(詳細は後述)。書籍によれば、ハ6は1899(明治32)年に平岡工場(※)で、ハニフ1は1919(大正8)年に枝光鉄工所(※)で製造されたそう。ハ6は元中国鉄(現 津山線吉備線)の車両だそうです。
(※)どちらもかつて国内にあった車両メーカー


客車のデッキ部分。"防石鐡道" の文字が格好良いです。


機関車を正面から。


防石鉄道の歴史を記した石碑(文字は横書きです)※クリックで拡大


こうして保存車両を見ると、明治あたりの古い車両が昭和30年代の廃止時までトコトコ走っていたのか… と思うと少し違和感がありましたが、当時は蒸気機関車が現役で走る時代だったのでおかしくはないかもしれない、と思いました。

ただ旅行後に買った書籍を見ると、防石鉄道には中国鉄道や芸備鉄道(現 芸備線)から来た気動車も在籍しており、こちらが旅客輸送の主力だったようです。蒸気機関車や客車は廃線まで車籍があったものの、末期の使用頻度は低かった(というか使われていなかった?)らしい。

■書籍について

旅行後に購入した書籍です。

"昭和30年代〜50年代の地方私鉄を歩く 第26巻 中国地方の私鉄"
(高井薫平著  株式会社フォト・パブリッシング  2022年9月15日 第1刷発行)

(※クリックで表紙画像拡大)
中国地方にあった私鉄路線(その殆どは廃止になったもの)について、写真付きで詳しく載っています。

保存車両を見た後防府駅へ戻り、再び山陽本線に。それにしてもこの付近の山陽本線の高架、都会のような雰囲気がします(→ストリートビュー)。阪急茨木付近を歩いているかのように錯覚します。


再び山陽本線で徳山へ戻ります。16時頃防府を出発(15:56発→数分遅れ)

本来は岩国行きですが、トラブルで徳山行きとなっていました(徳山からは別の車両による列車が同じ時刻で運行と案内があった)

車両は往路と同様に115系の2ドア。山陽地区のこの黄色く塗られた電車、以前はこの色があまり好きではなかったものの、何回も乗っていると元々の国鉄型車両とは違った独特の雰囲気があり、"国鉄型車両" とは違うまた別の分類というか、面白さがある気がしました。

20分ほどで徳山着(乗ったのは左の車両)。



車内(3000番台)。車端部とドア付近はロング、それ以外は転換クロスシートが並びます(117系からの編入車である3500番台は少し異なる)。
撮影した車両はモケットが赤系のものに交換されていますが、これは少数派で大半の車両は地味な薄茶色のモケットです。

徳山到着後はコンコースでひと休みし、椅子とテーブルのあるスペースで軽食を摂りました。

下松へ

時刻は夕方5時台。あと数時間で徳山を離れます。もう一回ぐらいバスに乗りたいなぁと思い下松駅北口行きに乗車。

真ん中の車両に乗車

乗ったのは元近鉄バスのKL-HR(タイヤカバー形状より2003年式)。午前中に撮影したものとは異なりノンステップのロゴが消されている車両です。
ロゴの消されたHRは数年前から防長で走っているので、移籍のタイミング的に元鳥飼の車両かもしれません(鳥飼からこのタイプのHR(2003年式)がいなくなったのは2019年頃)。

昔乗ったバスに、こうしてまた乗れるのは良いです。

中央線(県道347号)経由の下松駅北口行き。17:40徳山駅発。

約30分で下松駅北口着。


(※2枚目はスマホ撮影)

駅前には黄色と青の近鉄バス中古が何台も停まっていて、大阪のような雰囲気。

ここから再び徳山へ戻りますが、帰りは何となくバスよりも電車に乗りたかったのと、今年春から山陽本線の徳山以東で使えるようになったICOCAを利用したかったので、電車に乗ります。

時間があったので駅前を少し見て回りました。


南口の駅前に設置されている看板。”新幹線が生まれる街 下松へようこそ!” の文字と微妙に似ていない新幹線のイラスト。

下松には日立製作所の笠戸事業所があり、新幹線を始めとした鉄道車両が作られています。私が普段利用している大阪モノレールの車両も(一部の川重製以外は)ここで作られています。

笠戸事業所で作られた歴代の新幹線が描かれていますが、そのうち半分以上は既に引退した車両です。残っているのは500、700(8両編成)、N700、800、E2ぐらいか… 時代を感じます。

笠戸事業所、一般公開のときに一度行ってみたいです。


下松の名所を紹介する看板。下松は今までも何度か来ていますが、徳山~下松をバスや電車で往復するときに一旦降りるぐらいでほとんど滞在していないので、じっくり観光したいですね。


改札。自動改札機が設置されています。ICOCAをタッチして改札へ。山口エリアのJRでICOCAを使って電車に乗るのは初めてです。感動。

下関行きの普通列車に乗車。18:53下松発、115系の2ドア。



19:01徳山着。乗車した車両は元117系の3500番台でした。

帰りの新幹線は19:25発。ここからは少し急ぎ、記録しておきたかった徳山駅バス乗り場の発車メロディを動画で録り、ロータリーを後にします。
新幹線改札内売店で夕食にコンビニ弁当を購入。駅弁は予想通り売り切れ。昼に取り置き依頼をする手もありましたが、徳山駅で駅弁を扱う店は新幹線の改札内にしか無く、これだけのために入場料を払うほどではなかった

新幹線で大阪へ

新幹線で帰ります。岡山までこだま、そこからさくらに乗り換えです(最速は広島乗り換えですが、こだまに乗りたかったため岡山乗り換えに)。


こだま866号に乗車。700系8両編成。

19:25徳山発。車内は空いており、ぱっと見では座席は2~3割かそれ以下しか埋まっておらず。

それにしても、(これまでの記事で幾度となく触れていますが)レールスターは昔よく乗りました。

指定席は2+2列、のぞみと大差ない所要時間で、オフィスシートと称したコンセント付き座席、車内放送をしないサイレンスカーも当時は画期的でした。新幹線の座席にコンセントは "無いのが当たり前" だった時代です。コンパートメントは家族で利用しました。

よく利用した当時は何とも思いませんでしたが、今となってはあれが "一つの時代" だったんだなぁ… と懐かしく思います。


広島で10分ほど停車時間があったので、ホームへ出て自販機で飲み物を購入。まぁ自分の世代からするとレールスターの車内に自販機が無いというのが既に信じられないんですが…
飲み物を調達できたところで広島出発後に夕食を摂りました。


肘掛けのドリンクホルダーにペットボトルを置いたとき、そういえばドリンクホルダーは東海道新幹線には無いな… とふと思いました。レールスターで設置され(もしかしたらそれ以前にあったのかもしれない)、その後のさくら・みずほにも引き継がれた山陽新幹線の特徴的な設備の一つですね。


それにしても、最近この車両に乗るたびに思いますが車内が薄暗く感じます。照明のカバーが汚れているんでしょうか…?  普通に過ごす分には良いですが、読書などをするときには少し困るかもしれません。


デッキの車内案内。何となく撮影。

こだまなので各駅に停まりながらのんびりと進みます。それにしても山陽新幹線の三原-新尾道-福山は駅間が短い…


福山にて。福山城が見えました。

21:24岡山着。ここで下車してさくらに乗り換え。

区間こだまに通しで乗るのは疲れると思い岡山乗り換えにしましたが、ここまで来たなら新大阪までこだま利用でのんびり帰るのも良かったかもしれません。

後続のさくら570号に乗車。

21:32岡山発。乗り込んだ瞬間、温かみのある木目調のデッキが目に入ります。

車内はここまでのこだまよりは人が乗っていたものの、それでも空いていてぱっと見座席が半分埋まる程度でした(自分の隣は終点まで誰も座ってこなかった)


さくら・みずほのN700系は700系8両編成より快適で、これは否定できません(新しいので当然といえば当然)。

ただ2+2列席や温かみのある内装、肘掛けのドリンクホルダーなど、レールスターの設備の多くは引き継がれています(※2+2列席はウエストひかりからのもの)


さくら・みずほのN700系ではトイレ内も一部木目調だったのは驚きました。

途中 姫路、新神戸と停車。

いい日旅立ちの音楽が聞こえ、宮原の車両基地が見えて22:21に新大阪到着。この音楽は何となく旅の終わりを告げる曲、という雰囲気がします。

その後電車で帰宅。これで旅行は終了です。

ということで

今回の旅行では萩と徳山に行き、バスの乗車・撮影や現地の観光など、大方の目的は達成しました。

ただ真夏であまりにも暑かったため、今度旅行に行くときはもう少し過ごしやすい季節にしようと思います。萩の沖合の島や長門の青海島、 夏みかん原木などの観光名所も行きたいなぁ…と思います。

■なぜ山口へ行くのか(少し長いです)

初めて徳山へ行った頃走っていたブルーリボンワンステップ(2017年撮影。除籍済み)

私が徳山を初めて訪問したのは5年前の2017年夏。それ以降ここへは何度も行っており、今回で5回目です。旅行であちこちの地方へ行っていますが、このように何度も訪問しているのは徳山だけです。目的はもちろん防長バス(特に近鉄バス中古)です。

…とはいうものの、

確かに、防長では近鉄バスの中古がそのままの塗装で走っています。ただ、その車両もいつかは廃車になります。山口に行けば懐かしい車両にいつまでも再会できる訳ではありません。

近鉄バス時代に馴染みのあった車両で、既に防長からいなくなったものもあります(ブルーリボンワンステップなど)。
KK-エルガミオやレインボーRJ(一部)といった青系の旧モケット車も、先は長くありません(一部廃車も出ている)。

徳山駅(今回の旅行で撮影)

近鉄バスで十数年~15年程度使われた車両が移籍し、防長で活躍して、製造からトータルで二十数年が経つと廃車になります。

あと何年も経てば(まだ先ではあるものの)、かつて近鉄バスブルーリボンを置き換えていったブルーリボンⅡノンステップが防長へ行きますし、さらに時が経てばKV290系が移籍していきます(とても想像しにくいですが)。

近鉄バスの車両が防長へ行って、一定期間が経てば廃車になります。本質は、近鉄から防長への "スライド" です。

ではなぜ防長へ行くのか…?

スライドと言っても、大阪で乗れなくなったバスに乗れますし、懐かしいと感じられます。都市部で走っていたバスが地方で余生を過ごしているのを見るのは嬉しいことです。

防長バスの旧塗装と新塗装 (2018年撮影。左側の旧塗装車は除籍済み)

それに加えて、何度も山口へ行くうちに防長バス自体にも興味が湧いてきました。
緑系の塗装は旧塗装、新塗装どちらも格好良いですし、
"終点、○○駅前、到着です。ありがとうございました"  などの特徴的な放送も印象に残ります。
今は防長バスのプロパー車に乗るのも目的の一つになっています。

萩バスセンター、明倫学舎

近鉄バス中古から防長のプロパー車、山陽本線の車両、防府、下松の名所、その他防石鉄道など… そして(防長バスの旧塗装ツーステ繋がりで萩へ行ったことで)萩観光などへと興味が広がって行きました。

近鉄バス中古(特にブルーリボンワンステップ)が防長に移籍していなければ、徳山に行くこともなかったですし、防長バスのプロパー車目当てで山口へ行くことも、萩などで現地観光をすることも無かったと思います。

"近鉄バス中古" という1つのきっかけからここまで興味が広がるのは(自分で書くのも何ですが)なかなか面白いと思いました。

■そういえば

気がつけば、去年11月にこのブログを開設してから1年近くが経ちました。当初はバスコレや鉄道模型の工作などを主に載せていくつもりでしたが、気づけば旅行記事の割合が結構多くなっています(旅行へ行く頻度が意外に多い)。

もうちょっと模型関連の記事も書こうかな…と。先日バスコレ改造で阪急バスの西工96MC天然ガスが完成したので、次はこれについて書くつもりです。

<メモ>
2022.11.19  誤記訂正 (防府駅ロータリー  ×西日本ジェイアールバス中国ジェイアールバス)